vol.38
October 15, 2023
建築をベースにした
様々なものづくり「吉田甫」。
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富山県高岡市出身の吉田甫さん。高岡高校を経て大阪大学大学院を卒業し、その後はパリでの経験を経て、建築家として独立。そして、現在は地元高岡で一級建築士事務所・自身のブランド・アート制作の3本柱で活動しています。多岐にわたる彼の活動にはどのような背景やきっかけがあったのでしょうか。吉田さんのアトリエ事務所にお邪魔して、お話を聞いてきました。
様々なデザインを手掛ける活動とその背景。
――普段はどのようなことをなさっているのでしょうか?
吉田さん:設計事務所で設計士としての活動の傍ら、インテリアブランド「hajimeyo」の運営やアート制作も行っています。全ての活動の背景には建築という共通点があり、それをベースに特定のジャンルに囚われずに様々なデザインを手掛けています。
――”建築”というものが活動のベースになっているんですね。
吉田さん:そうですね。でも、建築に目覚めたのは結構遅くて…。高岡高校を卒業した後、将来何をしたいのか分からず、とりあえず大学受験をしました。大学に入ると、2年生からは4つの学科の中から1つを選ぶことになっていて、その際になんとなく建築が良いかなと思い、選択したことが建築に携わるきっかけになりました。
――元々「ものづくり」に関心はあったんですか?
吉田さん:高校の頃からものをつくることは好きでした。高校時代はファッションが好きで、グラフィックTシャツを制作したり、制服を手縫いで改造したり。当時は、単純にファッションが好きで、服をリメイクするのが楽しかったんです。雑誌を見ては、服の染め方やリメイクのアイディアを真似ていましたね。ただ、それが将来の職業につながるとは、当時は全く思っていませんでした。
憧れの建築家を追い求めてパリへ。
――大学卒業後、どのような経緯でパリに就職されたんですか?
吉田さん:大学のワークショップに招待教授で来ていた憧れの建築家の事務所がパリにあり、そこに就職することが夢でした。ただ、その事務所は世界的に有名で、毎月100件以上のポートフォリオが送られてくるほど人気でした。そこで他の応募者との違いを出すため、図鑑のようなポートフォリオを作成し、それを送ったんです。当時、英語は全く話せなかったんですけど、1ページずつ自分で翻訳しながら1年かけてポートフォリオを完成させました。
――吉田さん独自のポートフォリオが評価されたんですね。
吉田さん:多分、ひときわ目立つポートフォリオだったと思います(笑)。数日後に「あなたを採用します」というメールが事務所から届き、面接もなしに採用していただけるということでした。ただ、その時点で卒業までに3〜4ヶ月ほどしかなかったので、その間必死に英語を勉強しましたね。
――パリの建築事務所のお仕事では、苦労などありましたか?
吉田さん:最初はかなり大変でした。研修など一切なく、入社して初日から実務作業を任されました。日本で使用していた建築ソフトとは全く違うし、デザインソフトもフランス語でさっぱり…。そんな中、コンペのデザインを模型で検討してほしいという依頼があり、デザインすることは得意分野だったため、毎日誰よりも早く出勤して模型を作り、なんとかボスに認めてもらえるように努力しました。
吉田甫が考える「ものづくり」の原点。
――パリの建築事務所での仕事は今に活きていますか?
吉田さん:パリでは、世界各国の大きなプロジェクトに携わることができました。パリの有名な競馬場(凱旋門賞の競馬場)やフランスで1番大きな郵便局の改修工事、韓国の大規模な大学キャンパスなど。世界的な建築家が何を好み、どんなプロセスでデザインをつくっていくかをそばで学んだことが基礎となり、建築だけでなくアート作品やプロダクトデザインなどにも派生して今の創作活動に活きていますね。
――新しく制作されたアート作品「蛇の淑女」について教えてください。
吉田さん:「母なる大地から生まれる命」をテーマに制作しました。土圧がとても強く、地下で自立した壁をつくることが難しい中、建築的なフレームを構造計算して地中に入れ、壁を支えています。ジャンルは建築ではありませんが、いずれ私が作りたい建築のタネになっています。自分が作りたいものを、好きなように作った作品です。
――「ものづくり」への思いを教えてください。
吉田さん:ものづくりは、連鎖だと考えています。これまでの経験や知識、制作したものが元になって、1つの作品を作り、またそれが新しい発想を産む。そんな風に続けていく中で創作が連鎖していくと思います。私の活動は多岐に渡りますが、原点は全て繋がっています。
吉田 甫 Yoshida hajime
1986年富山県高岡市生まれ。高岡高校、大阪大学大学院卒業後、パリのDOMINIQUE PERRAULT ARCHITECTUREで3年半働き(2011-2014)、2016年に大阪で独立。2019年に地元高岡へUターン。
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